岡本 太郎 「自分のなかに毒をもて」

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本当に生きていくためには、自分自身とたたかわなければならない

狭い枠の中に自分を守って、カッコよく生きようとするのは甘えている

⇒自分をたたき潰してやる。そうすれば逆に自分が猛烈にひらけ、モリモリ生きていける

 

つい周囲の状況に甘えて生きていく方が楽だから、厳しさを避けてしまう

本当の人生を歩むかどうかの境目はこのとき。たとえ結果が思うようにいかなくたっていい。

自分は筋を貫いたんだと思えば、これほど爽やかなことはない。

 

信念をもって、人とは違った言動をし、あえて筋を通すというような生き方

自分のことが自分で解らないのに、勝手に自分はダメだと見切り、安全な道をとってしまう。

不安で、迷って、自信がない、何をしたらいいのかてんで解らない

⇒自分はそういう人間だ。ダメなんだ。とストレートに認めること。

そんな気の弱いことでどうすると考えても、気は強くならない。

自分は気が弱いんだと受け入れて、強くなろうとジタバタしない。諦めるのではなく、素直に受け入れる。

他人から見ればとるに足らないようなバカバカしいものでも、自分だけでコツコツと無条件にやりたくなるものを見出せれば、きっと目は輝いてくる。

何かこれと思ったら、まず他人の目を気にしないこと。

まずどんなことでもいいから、ちょっとでも惹かれそうな事を無条件にやってみる。

何かすごい決定的なことをやらなきゃと思わず、ちっぽけなことでいい、心の動くままに。

必ず見つけようと頑張る必要もない。見つかってもいいし、見つからなくても良い。続かなかったら続かなかったでいい。つまらなかったら辞めれば良い。

日記を書きたい。書こうと思ったら、続くかよりも書こうと思ったことが大事。続けなければならないと義務に縛られて書く必要はない。また、別の計画を立てて他のことをやってみる。三日坊主でかまわない。その瞬間にすべてを賭けろ。

 

「今はダメだけど、いずれ」とは絶対に言わないこと。

現在の自分に責任をもって、瞬間瞬間に情熱を。ベストをつくすのは、現在のこの瞬間である。

自己嫌悪におちいる。⇒自分のことを特別だと思ってしまっている。自信なんてものはどうでもいい。ありのままの自分を貫く。

自分と他を比べるから、自信が問題になってくる。他と比較して(誰々よりも自分は下だ)自分を決めるなんて卑しいことはしない。ただ自分の信じていること、正しいと思うことに、突き進む。

弱さを何とかごまかそうとしたり、強くみせかけようとしない。

自分は充実して生きている、これで精一杯だと思えば、悔やむことも歎くこともない。

あっちを見たりこっちを見たり、まわりに気を使いながらカッコよくイージーに生きようとすると、人生を貫く芯がなくなる。うまくやろう、成功しようと思うから、逆にうまくいかない。流されたままで生きているにすぎない。

そうじゃなく、これをやったら駄目になるんじゃないかということ、まったく自信がなくてもいい、死に物狂いでとにかくぶつかってゆく。うまくいくとかいかないとかそんなことはどうでもいい。

自分が非力であろうと馬鹿であろうと、そういう自分全体に責任を持って、堂々と押し出す。

他人が自分をどう見ているかなんて気にしていたら、絶対的な自分というものはなくなってしまう。

自分は、なんて馬鹿なんだといいながら、そのくせ内心では、いやそんなこともないかもしれないなんて思ってしまっている。他人に基準をおいて自分を考えている。たとえ他人にバカにされようが、けなされようが、笑われようが、自分が本当に生きている手ごたえをもつことが大事。

自分が未熟だからと消極的になってしまったら、未熟である意味がなくなってしまう。未熟のままだらしなく熟したことになってしまう。

 

皆自分を大事にしすぎる。自他に甘えている。本当に自分のあり方を、外に突き出していない。

だから裏目が出てきてしまう。好かれなくても良いと決心する。自分をぶっ壊してやるというつもりで。

ただ中途半端は駄目だ。自分のポジションも奇妙なことになって、やらなきゃよかったと悔いばかりが残る。

途中で自分を大事にしたりしない。徹底的に貫く。一度外から自分を眺めてみよう。自己嫌悪なんていい加減のところで自分を甘やかしていないで、もっと徹底的に自分とたたかってみよう。

才能のあるなしに関わらず、自分として純粋に生きることが、人間の本当の生き方だ。

日常のむなしさから逃げ、はみ出して、とっぴょうしもないことをやる、そんな特殊な行動や出来事をいうのではない。瞬間瞬間の生き方だ。自分が本当にノーだと思ったら、ノーと発言することだ。

行動に、自分の運命に責任を持つ。格好つけたかわったことをやってみるのではなく、何でもないことに筋を通す。朝起きてから寝るまで、瞬間瞬間の闘い。ごく些細なものから、重い決断まで。

 

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんてあまり構える必要は無い。身体全体、存在全体が愛の告白。

多くの出会いによって、人間は他人を発見する。他人を発見するということは、自己の発見なんだ。

愛情を素直に彼女に示す。その結果答えが得られようが得られなかろうが、お返しを期待せず自分の心を開くことで、自分自身が救われるはずだ。良い答えを得たいと願っていてもそれはあくまでも夢で、孤独の中でその夢をいかし、愛を深めればいい。急ぐ必要はない。遠くから彼女を想って見守る。相手を思いやる余裕を持ちたい。

子どもに対して、一段上というか別の立場に立って口をきいている。7つか8つからもう大人なのだ。

人生は本来、瞬間瞬間に、無償・無目的に爆発しつづけるべきだ。

自分を認めさせようとか、この社会の中で自分はどういう役割を果たせるんだろうとか、色々状況を考えたり、成果を計算したり、そういうことで自分を貫こうとしても無意味な袋小路に入ってしまう。

今この瞬間。まったく無目的で無償で情熱のありったけ、全存在で爆発する。